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第二の故郷は自己成長の場 ‐個のつながりが官学連携となり、途切れない理想の関係性になるまで
私にとっての魚沼市は、チャレンジと成長、そして振り返りの場である第二の故郷。
いつか二地域居住を目指します!
「魚沼応援団!」の記事を執筆するにあたり、魚沼市を応援してくださっている方を思い出していたところ、ふと思い浮かんだのが昭和女子大学教授・天笠邦一先生の名前でした。
天笠先生と昭和女子大生が、長年魚沼市で活動を続けていることを知っていましたが、改めてその背景を伺いたいと考え、天笠先生へインタビューを行いました。

昭和女子大学 教授 天笠邦一氏
魚沼市と出会った経緯を教えてください
私は大学時代、地域活性化サークルに所属して地元を盛り上げるためにイルミネーションを飾る活動などをしていました。
頑張っている地域を応援しながら、自分たち学生の親睦を深める旅行をしたいと考えた時に、所属しているメンバーに縁があったのが魚沼市でした。
初めて魚沼市を訪れたのは2005年頃。当時NPO法人魚沼交流ネットワークが開催していた観光ツアーを利用して来訪しました。NPO法人の皆さんは見ず知らずの大学生を歓迎してくださり、その温かい人柄に心を動かされました。
ツアーに組み込まれた国際雪合戦大会に参加したところ、そのおもしろさにすっかり引き込まれてしまい、いつからか「イルミネーションを飾ったら魚沼市へ行く」という流れができていきました。
何度も魚沼市へ通ううちに、NPO法人の方々だけではなく、雪合戦大会を主催する小出商工会青年部(現魚沼市商工会青年部)の方々とも交流が生まれました。一年ぶりに訪れても名前を覚えていてくれるなど、心が温かくなったのを覚えています。
天笠先生が学生の頃から交流があったことに驚きました
現在の昭和女子大学との関係性はどのように生まれたのでしょうか
今でこそ大学教員をしていますが、大学生から大学院生の頃は「人生このままでいいのだろうか?」と悩んだ時期もありました。
そんな悩みの渦中にあっても、魚沼市を訪れて雪合戦に参加すると心が軽くなり、救われた気持ちになりました。魚沼市は自分自身を振り返る特別な場所になっていったのです。
仕事が忙しくなり、しばらく魚沼市へ来訪できなかった時期もありましたが、いつかはお世話になった魚沼市へ何かしたい、大学教員となった今、教え子の大学生と何かできないかと思うようになりました。
そのように考え始めた2016年、天笠研究室と私が参画している株式会社インフィールドデザインが、学生たちと共に経験デザインの手法を用いて日本の地域が持つ多様な社会課題を考える「国道17号線の幸福論」という共同研究プロジェクトをすすめることになりました。
国道17号線は、東京・日本橋を起点として、都会から北関東の工業地帯、過疎化が進む農村部を経て日本海側最大の都市である新潟市へたどり着き、日本社会の断層にも見えてきます。その断層の道でフィールドワークを行うことで、日本の地域が持つ課題を立体的にとらえようというプロジェクトでした。その道上には、私の出身地である群馬県伊勢崎市や、第二の故郷としてお世話になっている魚沼市があり、そこに特別な「縁」を感じました。
そこで、学生時代からお世話になっていたNPO法人魚沼交流ネットワークに相談し、初めて魚沼市で大学生のフィールドワークをさせていただきました。
2017年には国内社会調査研修の担当になったことにより、魚沼市との交流はさらに深まりました。
国内社会調査研修とは何でしょうか?
国内社会調査研修とは、当時の昭和女子大学現代教養学科のカリキュラムの中に位置づけられた授業のひとつで、国内の地域を訪れてフィールドワークを行い、現地の歴史や文化、社会課題を自分の目で確かめながら社会調査のスキルを実践的に学ぶ授業です。
私は常々、社会的調査の手法のひとつである質的調査、つまりインタビューやフィールドでの観察ができる学生を育てたいと思っています。ただ、こういったスキルは授業の座学だけでは身につきません。質的調査は現場に出ることで身につくものであり、調査協力者や地域との信頼関係が如実に現れるものです。ですので、その学びのスタートの候補地として、既に信頼関係がある地域で調査を行いたいと考え、まず思い浮かんだのが、学生時代からお世話になっている魚沼市でした。
社会調査研修へ入るにあたり、魚沼市からは小出地域(商業地域)と守門地域の福山新田地区(農村地域)を紹介していただきました。
学生たちは地域を散策しながら調査を行い、地域の方へのインタビューを通じて魅力や課題を探りました。取材したフィールドでの知見を、初年度はポスターという形にアウトプットして、地域の現状を知ってもらうための報告会を魚沼市、そして東京で開催しました。
国内社会調査研修は毎年違う地域を調査するため、授業として魚沼市を訪れることはなくなりましたが、授業が終わっても継続的な関係を続けていきたいと思い、2018年からは学科内の有志プロジェクトとして魚沼市を訪れています。
任意のプロジェクトなので単位の取得はありませんが、地域の現状を知ることやつながりを持つことなど、得られるものが多くあります。
これまでプロジェクトに参加した学生自身が他の学生たちへプレゼンし、現代教養学科の新入生がプロジェクトへ参加するというサイクルが生まれています。
フィールドワークの知見を詰め込んだポスターを拝見しました
これまで、調査した結果はポスターやビデオ等の媒体にしてきましたが、近年はZINE(ジン)を発行しています。
ZINEとはアメリカが発祥の個人や小さなグループが作成する自由度の高い雑誌のようなもので、学生が福山新田地区のなかに感じた「好き」や「おもしろい」「知ってほしい」を詰め込んだ内容になっています。制作物は福山新田地区のPRに活かしていただいています。
10年に渡って地域と大学生が交流し続けている秘訣は何でしょうか?
ひとえに、魚沼市の方々の心の温かさと魅力、関わった学生の力だと思っています。
この10年、コロナ禍等で関わることができない時期もありましたが、初期の学生が地域の方と良い関係を築いてくれたことに尽きます。その様子を見た学生が次回訪問を希望するなど、好循環を生んでいます。
学生には東京とは異なる文化や暮らしを知ってもらい、地域の方には若者との交流を通じて元気になっていただきたいと思っています。
プロジェクトに関わったことによって学生の皆さんに変化はありましたか?
魚沼市の社会調査に関わった学生の中には、地方で働くことを選んだ学生もいます。
東京生まれ、東京育ちの子が地方都市の会社に就職したり、関東でも山間地域の団体に就職したりした子もいます。
地方で就職した学生からは「都市部の大企業では、企業から与えられた仕事をこなすことで誰が幸せになるのか分からない。地方では目の前にクライアントがいて、自分の仕事がどのように貢献できているのか目に見えて分かることに喜びを感じる。」という声も聞きました。
魚沼市での経験や学びが学生たちの価値観を見直すきっかけとなり、自分自身や社会を俯瞰して見た上で生き方を決めたことはとてもすごいことだと思います。
大学生と地域の方々とのエピソードを教えてください
10年あまりの活動で、学生と地域の方々とのエピソードはたくさんできました。
まずは、福山新田地区に調査へ入った当初、受入を担当した地域おこし協力隊員から、今は踊ることがなくなった地区の踊りを地域のお母さん方から教わって一緒に踊ってみたらどうか?という提案をいただきました。学生の中にダンスが得意な子がいたので、その学生が中心となって踊りを覚え、最終的に当時お母さんたちが着ていた衣装を借り受け、それをまとって踊り、お母さん方に見てもらうと同時にビデオにおさめました。
お母さん方は若かった頃を思い出した様子で感動し、涙を流して喜んでくれました。そしてその様子を見た学生たちも涙を浮かべながら交流をしていました。お母さんたちと学生の距離がぐっと近づいたエピソードです。
もう一つ、フィールドワークに出た学生が予定時間になっても帰ってこなかったことがありました。
心配して探しに行くと、あるお母さんの家でスイカを食べていました。
その時に学生が撮影したスイカを持ったお母さんの写真は、私では絶対に撮影できない素敵な表情を浮かべていました。学生がお母さんと心を通わせたからこそ撮影できたのだと思います。その学生は卒業後も福山新田地区のお母さんたちと個人的に連絡をとり、遊びに来ているそうです。
福山新田地区の方々は、私たちをヨソモノとして特別扱いすることなく、学生の在り方そのままを受け入れてくれました。そのようなところに学生たちが心を開いているのだと思います。

福山新田地区のお母さん方とお茶を飲みながら交流する昭和女子大生
SNSの使い方を学生から教えてもらう姿もあった。
天笠先生にとって魚沼市はどのような場所ですか?
魚沼市は、私や学生にチャレンジする場を与えてくれ、成長させてもらえる場所になっています。魚沼市といえば「お米」という印象が一般的ですが、私は「人」こそが最大の魅力だと思います。
魚沼市の人には懐の深さと温かさがあります。これからも関わり続けていきたいですし、学生からも関わり続けて欲しい。
東京に居るとふと「魚沼市へ行きたいな。行かなきゃ!」そのような気持ちにさせられる魅力があります。
今後の展望をお聞かせください
昨年度は、NPO法人魚沼交流ネットワークの設立20周年にあたり、「魚沼響きの森の10年後を考えるプロジェクト」でワークショップを開催させていただきました。
大学時代から続く同法人との関係のように、これからも学生と地域、お互いが刺激になるような関係性を誠実に続けていきたいと思います。
また、今後の密かな目標として、魚沼に「家」が欲しいと思っています。完全な移住は難しいですが、二地域居住や学生・OGが宿泊できるような拠点ができればと考えています。
―ありがとうございました
インタビュー前は、「大学」と「行政」の関係性だけだと思っていましたが、天笠先生が学生の頃に魚沼市の方々と出会い、大学教授になった今でも関係性が続いていることを知り、とても驚きました。同時に、天笠先生の「魚沼愛」は想像以上に大きく深く、ひたすら魚沼愛を語る天笠先生に圧倒されましたが、とても嬉しかったです。
これからも魚沼市と学生の関係をつなぐ架け橋となっていただき、いつか二地域居住が実現される日を楽しみにお待ちしております!


