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宮柊二は大正元年に堀之内町に生まれ、激動する昭和の歴史の中で短歌一筋の道を生き抜いて戦後の歌壇を支え、 昭和61年に74歳の生涯を閉じました。
昭和を代表する歌人・宮柊二が歌い遺した多数の作品をつらぬくものは、人間にかかわる深い洞察と、人および物にそそぐ広く深い愛情と、ふるさとの風土への思慕であったと思われます。 ここに、宮柊二の人と作品とを偲び、 昭和の歌壇に果した役割をあらためてふりかえり、その事績を永く後世に伝えたいと思います。
レンズ2点 レンズケース 眼鏡4点 木匙2点 茶わん コーヒーカップ ウィスキーグラス3点
ペーパーナイフ 耳かき 棒タイ2本 腕時計 カメラ
月岡公園でのスナップ 柊二使用車椅子
愛用の硯3点 墨 筆7点 水差し 文鎮 鉛筆 万年筆 ペン皿
宮柊二日記3冊 印8点 印譜
新潟県立見附高等学校校歌(昭39.5.17 制定) 新潟県立堀之内高等学校校歌 (昭50.12.8制定)
新潟県糸魚川市出身。 評論家、歌人、詩人として活躍。良寛研究の第一人者としても有名。 柊二は、御風主宰の「木陰歌集」に中学時代 (昭和4年) から昭和8年まで投稿していた。
福岡県出身。明治、大正、昭和期に詩、短歌、童謡などで多くの業績を残した詩人、歌人。柊二は昭和10年から14年まで白秋のもとで秘書として勤めており、生涯、白秋を師と仰いでいた。
大阪府出身、本名は折口信夫。 国学者、民俗学者、詩人、歌人。 北原白秋なき戦後、柊二は迢空を第二の師と仰ぎ、迢空は、柊二処女歌集『群鶏』にことばを寄せ、コスモス創刊にも協力するなど、柊二を励ました。
新潟県堀之内町出身。宮柊二の叔父(父の末弟)で信州諏訪を中心に活躍をした画家。 森鴎外の短編小説「天寵」に出てくるM君のモデルとなった。
富山県出身。詩人、画家、美術評論家。 柊二夫人の宮英子氏 (旧姓: 瀧口)の叔父にあたる。 コスモス草創期には、口絵に芸術作品を紹介し解説を寄せた。
長崎県出身。文芸評論家。 柊二が白秋秘書をしていた頃から交際があり、後年は第三の師として仰いでいた。